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愛原百麗(あいはら ももか)と申します。
私は看護師として、救急外来、ICU,内科、外科、小児科の経験を積み、現在も現役で病棟で勤務しながら、ホリスティックアプローチを取り入れた
看護を実践しています。
ホリスティックの定義はこちらです。
ホリスティック医学の定義
また、コーチングのファシリテーターとして
心と身体がWell Being(精神面だけでなく、身体的にも、社会的にも満ち足りた状態)になるサポートと
ドクター・ジョン・F・ディマティーニの『ディマティーニ・メソッド』の知恵をわかり合い
引き寄せの法則や日本の叡智である開運の話題で人生を豊かに創造することをコンセプトに
開運コーチングをしています。
この記事では、私のプロフィールを生い立ちから現在のコーチングアンドファシリテーターとなったまでの経歴を紹介しています^^
愛原 百麗の経歴
生年月日: 1967年1月28日生まれ 57歳 (2024年12月21日現在)
出身地: 長野県
看護師歴:1987年 准看護師免許証 取得 ・ 2011年 正看護師免許証 取得
家族: 夫と義理父の3人暮らし。
趣味: 音楽鑑賞・楽器演奏(フルートと、なんちゃってピアノ)・読書・旅行
生い立ち|貧困と家族内のストレスと学習障害
ここでは私の生い立ちで印象深いところを紹介しますね。
私は家庭機能不全の中で育ち、私自身は学習障害で「やんちゃ」だったので近所からも迷惑がられていました。
小学生低学年|学習障害と担任の教師への不信感
幼少期から貧困の農村家庭に育ち、身体障害を持った祖父と、祖母、知的遅延のある両親、弟と暮らしていました。
また、小学校1年生の時には、衝撃的な事件がありました。
先生が黒板に足し算の問題を書き、クラス全体でそれを解いてました。
問題を解いている間、先生が椅子に座っている生徒の後ろを歩いて回っていました。
先生が私の椅子の後ろで足止めた瞬間です。
先生は両手で私の目を覆いました。
しばらくの間、何が起こっているのか理解ができませんでした。
その後、先生は教室全体を回ったあと、教壇に立っち問題の解答を生徒に当てて答えさせました。
最後の方の問題で、先生は私を当てたのです。
目隠しをされていたので、問題を答えられなかったのです。
家に帰り、母に出来事を相談しました。
母は「先生がそんなことするわけがない!」と言い信じてくれませんでした。
数週間後に参観日の後に、先生と母が面談をしました。
ももかさんは、計算ができません。
特別学級へはどうか?と打診されたそうです。
家庭機能不全で育つ
家族関係は毎日喧嘩が絶えず、祖母、父、母、弟から言葉の暴力と身体の暴力を受ける毎日でした。
私自身も生きるのが必死で抵抗する毎日で心穏やかに過ごしたという日はなかったのです。
特に、祖母は大正生まれでしたので、母を奴隷のように扱い、イジメていました。
母は建設業の肉体労働をしながら、休日は農業をしていました。
休む「暇なく働いていました。
母のストレスの吐口は私への暴力と育児ネグレクトでした。
父も農業と自営業で造園業を営んでいましたが、仕事がなくて農繁期以外は家でゴロゴロしている人でした。
父は家族を守る経済力は全くなかったし、学力もなく血気早い思考で面白くなければ暴力を振るう人でした。
高校生|イジメと万引き
私自身、強烈なトラウマと学習障害があり、小学校、中学校、高校生活は、いつもイジメられていました。
中学生の時には、それなりに学力も伸びました。
中学生の進路相談では、祖母、祖父、母から「我が家は高校へ行かせるだけのお金はない。就職しろ。」と言われました。
高校も行かせられないとはどういうことだ!と母方の親戚が声を出し、祖父の年金から高校へ行く資金を出してくれることになりました。
これには、祖母と父が真っ向から反対でした。
しかし、母は建設業の肉体労働をしながら「百麗を高校へ出す!」と言って私を庇ってくれました。
高校生にもなると、女の子らしくオシャレもする年代です。
ですが、両親の経済状態では洋服を買ってもらえませんでした。
いつも、色褪せたボロボロの洋服を着ていましたので、友達からも敬遠されていました。
友達はアルバイトをしてましたが、私は駅から徒歩で1.5時間かかって通学しておりバイトをするお店もない僻地でした。
また、高校ではイジメられていたので、通学の電車の時間をずられして早朝と夜の電車で帰宅していました。
(電車の本数は1日に6本程度です。)
ある日、学校の帰りに駅の近くにある洋品店に入りました。
500円の女の子らしい可愛いTシャツがありました。
母の苦労の姿を思い浮かべながらも、どうしても欲しくてバッグに入れました。
そんな中で、ある日のこと廃品回収の集積場で見つけた聖書を拾いました。
私はその一言一句により光を見出したのです。
20歳で新興宗教へ入信 |多額献金と借金返済生活
その後、名古屋へ准看護師として就職しました。
その就職先で出会った先輩の看護師からキリスト教から派生した新興宗教へ入信しました。
ときは、1999年のノストラダムスの大予言で世界が滅びるとか、日本沈没だとか都市伝説が巷で騒がれていました。
私自身が幼少期からのトラウマで明るい未来を想像できなかったので、そんな都市伝説をまともに受け止めてしまいました。
その教団の教えの一つに家庭こそ平和の原点であり家庭再建は世界平和に通じるというもので、
人類が平和を実現するには、救世主が必要だ。
救世主の指示に従うことだと信じていました。
なんとかしなければならない・・
藁にすがってその教団に救いを求めました。
しかし、その教えの中では聖書の希望とは真逆で救世主と言われる教団のトップのみ言からは
「私は堕落した人間だ、生きていて価値のないと罪人なのだ。」という認識を強めてしまいました。
よって救われるためには年に数回の数百万円以上の献金を教団に入れなくてはならないという指導のもと
最終的には数千万円の多額献金をしたのです。
一時は、教会の責任者の指導で消費者金融からの借り入れを進められそこでも数百万円の借金をしながら教団へ献金をしていました。
これは、全国的に展開している「摂理」として信者は取り組んでいました。
ただただ、救世主である教祖の指示に従うしかない。
救世主のいう理想世界を実現するために犠牲は仕方ない。
献金目標は死守しなくてはならない。
イエス様も救世主はそれ以上に犠牲を払い人類を救わんとされているのだから・・
その教団は、2009年3月のコンプライアンス宣言以降にはそのような指導はしていませんが、それ以前は非人道的でした。
どんなに献金をしても次から次えと要求される献金で、教祖の代理である責任者の指示には逆らえませんでした。
私はいつ救われるのか?
ゴールはどこなのか?
責任者に聞いても明確な答えは返ってきませんでした。
そして、教理では自己犠牲こそ美徳な生き方だと受け止めて自分自身の内側からの魂の声を無視して生きてきました。
結婚 |夫の両親と同居と教会活動
夫との結婚と同時に夫の両親と祖母と同居をしました。
夫の父はアルコール性依存で、私を毎日批判をしていました。
夫は私にとって必要な人なのに・・どうしてこんな人と暮らすんだろう?
辛くて家にいたくないと、毎日思いました。
そんな苦痛から逃れたくて、ますます信仰生活に熱が入ったものの、看護師との夜勤生活を兼ねていたので睡眠時間がほとんどありませんでした。
休日は、教会の責任者からは、奉仕活動をすれば救いの条件と言われ、教会の行事に参加しない信者は冷遇されました。
しかし、唯一の希望は信仰していれば信者同士の養子縁組の可能性があるというものでした。
また、教会では「日本の献金摂理」があって、教会の責任者からは銀行や金融消費者センターからの借入を強要されました。
全ては、辛いこんな生活の原因は、先祖の罪のせい。
先祖の罪の清算は献金をしなければならない。
「この献金は世界平和のために、救世主が使って下さるのだ。」と言い聞かせ、借金を抱えました。
借金生活は、本当に大変でしたが、救世主からは「感謝しなさい。不平不満を言ってはならない。」でした。
何に感謝するの?
私はこんなに泣いているのに・・・
40歳で大病をして再びどん底へ・・魂の問い
30代は不妊症治療で最終的には体外受精を2回行ないましたが、結果は流産でした。
40歳では、子宮筋腫が小児等大に大きくなり手術をし、翌日に右乳房に硬いシコリを発見しました。
結果は「乳がん」でした。
乳がんでは右乳房を全摘して、自分の身体を鏡で見ることがとても恐怖でした。
それまでの自分の人生を振り返り、「どうしたら自分の人生はどのようにしたら幸福になるのか?」と問い続けました。
そうした自分探しが始まりました。
スピリチュアル、引き寄せの法則、潜在意識活用、聖書、仏教、神道など、入信していた宗教の学びではなく、私の魂の部分の声を聞きたかったのです。
私はなんのために生きているのか?
私は死んだら地獄へ行くのか?
私はこれから何をしたいのか?
YouTube動画の出会いと鎌田ヒロさんから学んだこと
ある日、体調が悪くて寝込んでいた時です。
Tsunehiro Nonakaさんの動画に出会いました。
これは、衝撃的な内容でしたが腑に落ちました。
「Drディマティーニ??」初めて聞く名前でした。
そして、ある日のことです。
こちらの鎌田ヒロさんの動画に出会いました。
内容は引き寄せの法則はいい気分でいることなのですが、その内容は薄いものではありませんでした。
ネガティブな出来事は何なのか、を教えてくれました。
そしてもう一つの動画で一般的に言われている「鏡の法則」のもっと深い視点に驚きました。
動画を見おえたら、概要欄にある「人間関係・ビジネス・お金などの引き寄せをわ好転させたい人が読むメルマガ(無料)」に取り組みました。
メルマガ講座では、私の潜在意識にあるネガティブな気持ちと一つ一つに丁寧に向き合うことになったのです。
この鎌田ヒロさんのメルマガで私は初めて自分の人生にむきあったのでした。
そして、2022年に鎌田ヒロさんのコミュニティであるワープ応援隊1期生としてコミュニティに入りました!
コミュニティに入って驚いたのは、受講生さんの年齢層の広さでした。
20代から70代くらいの方々もいらっしゃって、鎌田ヒロさんへ質問をしては返答をいただく場面があるのですが、
生きる指針をいただいたのです。
また、コミュニティのプログラムには、Drディマティーニメソッドのグループワークがありました。
グループワークの中では、亡くなった母へのネガティブな出来事から感謝を見出すことができました。
同時に、心の闇から私の人生の最高価値へと結びつくようになっているのだと心の深いところでインスピレーションに導かれ
号泣しました。
私が私を愛してなかった・・・
ごめんなさい私。
ありがとう私。
魂の声に従う|Dr.ディマティーニ・メソッドとの出会い
こんなに真面目に新興宗教の中で神様の願いに応えてきたのに
どうして、私は幸福になれないのか?と嘆いていた私から人生に起こっていることは全て最適なのだと少しずつ自分の変化がわかりました。
鎌田ヒロさんより内観と中心軸に戻るという知恵を教えていただいてから、私が変化していると気がついた喜びがありました。
引き寄せの法則を世界的に大ブームを起こした映画「ザ・シークレット」で人間行動学の世界的権威として登場しているDr.J.Fディマティーニと出会いました。
2023年に受講した「やる気研究所」主催のブレーク・スルー・エクスペリエンス(Breakthrough Experience:BTE)では
Dr.J.Fディマティーニから直接に3時間を超えるファシリテーションを受け、唯一に私を家庭内暴力からかばってくれていた祖父の死に対する
喪失感を完全に消失してくれました。
また、母の死別、父の死別についても同様でした。
そして、最も自分が大きく感情の負荷を抱えていた教会の責任者に対して、感謝の手紙を涙ながらに書くことができました。
本当にこの経験は、私にとって大きな影響を与えました。
さらに、自分が認識していた過去の家庭内暴力、イジメ、入信した宗教での多額献金問題について
私が認識していた「世界」は非常に偏った意識であったし、その偏りが自分の人生を創造してきたのだとハートでわかりました。
人や社会のせいにして被害者意識で生きてきた場面を振り返り、全ては完全に宇宙の秩序の中で起こっていたことだと理解できたのです。
その瞬間に感謝と愛で満たされて、ブレークスルー体験をして号泣しました。
- 私が体験したように、人生の認識の偏りに気がつき、さらには心のバランスを取り戻し、愛と感謝で満たされた体験を一人でも多くの方々と分かち合いたい!
- 自分の価値を見失っている人へ魂の部分からの自分の声を聴くことができるようにサポートしたい!
そんな情熱が沸々と感謝と愛の心の領域から湧き上がってきました。
ブレイクスルー・エクスペリエンス(Breakthrough Experience:BTE)の参考記事:
▶やる気研究所|ブレイクスルー・エクスペリエンス(Breakthrough Experience:BTE)
新たなミッション|コーチング&ファシリテーターとしての道
こうして、2024年2月にDrディマティーニメソッドのトレインド・ファシリテーターとなりました。
現在、自らの人生に起こった経験と看護師としての経験を活かし、コーチングとファシリテーターとしてクライアントと向き合っています。
また、私自身、東洋の開運情報や神社、仏閣にパワースポット巡りや開運情報が好きです。
これは、日本人のDNAに刻まれた森羅万象を敬い、感謝して生きる世界に誇る叡智だからです。
同時に、そのような知恵と叡智も科学的、量子力学でも人類の意識進化促進していることも証明されてきています。
このブログでは、様々な人類の叡智の情報や潜在意識を書き換え人生を大逆転する世界の知恵と叡智を紹介していきます!
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2024.8.25
尚、上記の内容について特定の団体による宗教活動とは一切関わっておりません。